(23)夫婦のセックス










日本人の夫婦のセックスにはどうも限界があるようだ。つまり快感の追求がどこまで出来るかという、広い意味の文化の問題である。セックス最貧国といわれて久しい我が国だが、それを治す処方箋は見当たらない。男たちが女性の快感に誠実に向き合う可能性は限りなくゼロに近づいている。エロという性情報や風俗サービスに毒され、奇をてらった潮吹き、アナル、SMなどまるで動画の世界の知識を生身の女性に行うことが良いことだと思い込んでいるようなのだから、もう無理かもしれない。そして子供のように射精、あぁ気持ち良いの世界。これで我が家のコミュニケーションは万全と思い込んでいる節がある。奥様方もフェイク上手で早々に寝たがる傾向もあるようだ。さて今後はもっとヒドクなりそうなだけに、セックス上手な男には楽しい日々が続くのかもしれない。旦那よ目覚めよ!!

@夫婦のセックスのはじまり
 男女が恋愛をして、婚前交渉を経験して、結婚に至るのが現在の大きい流れだろう。昔はお見合いをして、結納結婚。そういう社 会的手順を経て初夜を迎え、初めて男女が性的に結ばれるというパターンだったので、夫婦の契りという儀式めいたものも「夫婦のセックス」にあったのだが、もうこの役目は消滅したといえるだろう。
 最近では「できちゃった婚」も多くなってきたが、そこまでいかなくても夫婦になる前に充分夫婦のセックス同様の行為をしているのだから、特に新婚になったからといって新鮮な性的感情は起きにくいのが現状だ。まぁ一緒に暮らし、一緒に寝るわけだから、別々に暮らしていたときよりはセックスがいつでも出来る環境に変わったのは変化といえば変化だが、特にそのことでSEXの回数に変化があるとはいえないのが現状のようだ。

A夫婦のセックスの効果・目的
 一般にセックスの効果・目的は「生殖」「コミュニケーション」「快感の享受」の3要素があるといわれる。恋愛中や不倫中のセックスは「コミュニケーション」と「快感の享受」が重要であり、「生殖」は排除しようとするので2要素で成立する。
 それに対して「夫婦のセックス」は「生殖」を含めた3要素すべてを満足させようとする。勿論、夫婦の状況によっては「生殖」を恋愛時同様に排除する場合もある。(例えばもう子供は二人で充分)

Bもう一つの目的
 実は理想的ではないのだが「夫婦のセックス」にはもうひとつ目的がある。それが「性欲の処理」である。特に現在60歳より上の世代の「夫婦のセックス」には、夫の性欲を処理させ、牙を抜く。日頃の鬱憤を晴らさせて明日も機嫌よく働かせるという妻側の知  恵のようなものがあったようだ。当然夫の浮気防止の意味合いもあったようだ。7,80代の女性の多くが「お努め」という言葉を使う のはその辺の時代背景があるようだ。50代以下の若い世代ではそういう感覚で「夫婦のセックス」をとらえることは少ないようだが 逆の現象が起き始めているとの指摘もある。
 「性欲の処理」の部分で、「夫の性欲」ではなく「妻の性欲」が処理されるという問題も現われている。今では常識になった「女の性欲」が市民権を得て活躍している証左である。昔からいわれた「義理マン」「お努め」という言葉には、多くの含みがあるということだ 。

C「夫婦のセックス」と快感
 ここでは「夫婦のセックス」を「コミュニケーション」と「快感の享受」に絞って考えてみよう。夫婦であっても「生殖」という目的は極めて限定的であり永い夫婦生活において、その行為は十数回に過ぎないだろう。つまり夫婦のセックス」においても、恋愛や不倫に おけるセックス同様「コミュニケーション」と「快感の享受」が多くを占めるのである。
 「夫婦のセックス」がセックスの効果・目的である「コミュニケーション」と「快感の享受」を得やすい環境が整っていると考えるのが 当然であり自然なのだが、これがどうもそうではないというのが現実のようである。

D「夫婦のセックス」は快感度は?
 さて最も重要なことだが、それでは「コミュニケーション」と「快感の享受」に最適な環境であるはずの「夫婦のセックス」の快感度の実態はどうなのだろう?
 愛し合い、協力して家庭を築いている仲良し夫婦。さぞ羨むくらい「快感の追及」にまい進していると思いたいところだが、実態は全く逆さまな状態というのが現実のようだ。愛があり、社会的認知もあり、手を伸ばせば女房の乳房に触れられる、気心も分かり「あうんの呼吸」になっているはずの「仲のいい夫婦」が実は「快感の追及」に関して無関心である現実があるようだ。ちょっと間違うとセックスレス夫婦だけど家族は幸せという風潮さえあるのが現実のようである。

E「夫婦のセックス」快感を追及しないのは何故?
 「夫婦のセックス」は環境が整っているのに「快感の追及」に焦点が絞られない原因は非常に多い。「恋人同士のセックス」には「恋」と「未知」という麻薬が含まれる。「不倫のセックス」はセックスが関係の中核を占めている。それに比べて「夫婦のセックス」の中核は生活である。生活習慣の中の一つの行動という位置づけがある。
 つまり「夫婦のセックス」は「コミュニケーション」としてのセックスである。「快感の追及」は二の次なのだ。しかし、困ったことに夫は「コミュニケーション」だと思っているのだが、「快感の追及」が少ないので「コミュニケーション」の役割も果たしていないことが多いようだ。逆に「ちっとも良くない」ということで、時間の浪費、疲労の蓄積という副作用を伴い「お努め」という言葉が生まれ、夫にも「義理マン」という言葉が生まれる。

F「生殖」と「コミュニケーション」「快感の追及」は似て非なるもの
 単純にいうと、性行為とはバギナにペニスを挿入しオスが射精することである。この射精によって精液に含まれる精子が卵子と出 会い受精する、これが「生殖」である。ここでいう性行為(生殖)にはセックスの「コミュニケーション」と「快感の享受」の要素はまったく必要がない。女性側に快感があろうがなかろうが精子と卵子が出会う状況だけが必要となる。
 それに対してセックスによる「コミュニケーション」「快感の享受」は必ずしも射精が不可欠ではないし、性器への愛撫やスキンシッ プだけでも、「生殖」以外の二つのセックスの効果目的は成り立つ。しかし多くの場合性器を結合して、「コミュニケーション」と「快感の享受」を得ようとする。
 つまり多くの場合、男女は「生殖」においても他の二つの目的においても性器を結合し、目的に達しようとする。傍目に見る限り同じような行為をしているので、そのセックスが「生殖」なのかそれとも「コミュニケーション」「快感の享受」なのか判断はつかない。しかし内容ととなると全く別物に近い差がある。

G「生殖」・「男の性欲処理」と「コミュニケーション」「快感の享受」の差とは?
 この二つのセックスの差は「妻のオーガズム」があるかないかが分岐点である。前者であれば夫は妻が快感を得ているかどうか気にせず、バギナが濡れてさえいれば「感じているに違いない」と思い込み、多くの刺激が亀頭部に伝わるように膣内でピストン運動を行い、一気に射精する。時にはクリトリスを愛撫することで充分妻は満足したのだから、最後の締めくくりは俺が気持よくなればイイ程度の認識で「夫婦のセックス」を完結している。
 産婦人科医も女性の快感はクリトリスがすべてとあらゆる機会に喧伝するのだが、これは明らかにまやかしである。Gスポットに関しても「潮吹き現象」でクローズアップしているが尿道を刺激、短い女性の尿道に膣内から刺激を与えるに過ぎない。動物の親が子供の尿道口を舐めて排尿を促すのと同じことである。排尿という行為も人間にとって緊張からの開放なのだから、性的快感だと勘違いしても責めることはできない。

H産婦人科医のセックス解説の矛盾
 しかし、バギナ、子宮口、子宮で感じる性的快感は理屈はどうであれ厳然と存在する。産婦人科医がまやかしを言っている証拠ではないが、彼らはクリトリスがすべてと教えながら、女性がオーガズムを感じるまで男は射精を我慢しろと指導するがこれは明らかな矛盾である。クリトリスがすべてならペニスの挿入もペニスそのものも不必要になる、クンニリングスとかローターで充分でもある。しかし、EDは性生活に大きな支障をきたすなどとも主張する。これも驚くほどの矛盾である。
 なぜこんな矛盾したアドバイスが堂々と専門医から発信されるかというと、彼らはセックスに関する専門家ではなく産婦人科医なわけで、主にお産と婦人科系疾患の専門家なのである。その他にも泌尿器科、美容整形外科、心療内科医、臨床心理士、カウンセラーなど多少関わりのある分野の専門家が情報を発信するが「セックスの専門家」ではない。彼らのアドバイスを調査した上でいうのだが、キンゼーやマスター&ジョンソン夫妻の性研究情報を垂れ流しているに過ぎないのだ。
 しかしだからといって、彼らが嘘情報を流していると責めることは出来ない。米国における上記研究レポートがセックスの基本であ ることは事実なので、それを21世紀になっても主張するのが悪いとは言えない。また彼らは他の疾患を治すことが主たる目的なので、死ぬわけでもないセックスにおける「快感の追及」など、聞かれるから答えるという消極的ポジションなのである。
 「膣でイキタイ!」この意識は性に前向きな女性たちにとってサイレントマジョリティーだと思われるが、クリトリスでの「ほど良い快 感」をオーガズムと思い込むのも自由である。想像だが、これら専門家たちとしても科学的に証明解説できない「膣のオーガズム」が本当のオーガズムだとは主張しにくい。
 またクリトリスの快感は90%以上の女性が認識できるのだが、膣オーガズムとなると男性パートナーのテクニックと熱意次第という、男女の相対的問題になるので避けているとも思われる。つまり、単に愛し合っている夫婦のセックスであれば、ほとんどが味わえる快感ではないので、あえて言及していないということも考えられる。信頼されるデーターは存在しないが、40代50代ベテラン夫婦であっても、「膣オーガズム」に至っている夫婦は2割程度と推測されている。この2割の夫婦のセックスライフを知る限り、夫が妻のオーガズムに対して前向きであることが絶対条件らしい。
 妻を挿入でイカセタイという意志、そして充分な勃起硬度、そして持続力など精神的物理的要件が求められるので、普通の男(夫)では成功する確率は低いようである。
 おそらく膣や子宮で快感を得るメカニズムはクリトリス・膣・子宮頸部・骨盤・腹膜・恥骨・脊髄など各部の連鎖、そして部分的快感と大脳が支配する領域に及ぶため、容易には解明できないものだと理解するべきなのだろう。

I「膣でイキタイ!」の実態
 ここでは「夫婦のセックス」がテーマなので、現在の我が国の夫婦のセックスという条件で考えてみよう。夫婦と子供2人の都会の核家族夫婦のセックスライフを想定して検証しよう。
* 夫39歳会社では課長として活躍、帰宅はほとんど10時を過ぎる。
* 妻は専業主婦だが10歳と7歳の子供の世話から塾・クラブや習いものの送り迎え、夕食の支度と奔走。好きな映画をDVDで観るのも11時を回る
* 恋人同士だったときは週二回必ずセックスをしていたが、彼がAVビデオでの知識でクリトリスをちょっと舐めて、気持ちいいいと思った瞬間に挿入、ズッコンバッタンのピストンを数分、ぐぐっと射精して終りの性行為だった。
*つき合いだして1年後妊娠。「できちゃった婚」で長男出産。出産後3年近くは何となくセックスレス。
*3年後久々のセックス、避妊は考えずに長女を妊娠。出産後、2年でセックス再開コンドームで避妊開始。
 上記のような夫婦の現在のセックスライフは月一回あるかないか程度。妻としては30%近い夫婦がセックスレスなどという記事を読んで、「うちはまだマシなのかも?」と自らを慰める状況。
*しかし、あらゆる性情報に接してみると、失神するほどの「膣オーガズム」への好奇心は消えない。
*夫婦の間で妻の方のオーガズムについて話し合う機会はゼロ。現実夫にそれを伝える勇気は出ない。
*夫のセックスも適当には気持ち良いので、軽くはイク。夫はそれを見て妻を満足させたと思い込み、一気にフィニッシュに向かいピストンを始めてしまう。
 以上が一般的夫婦のセックスライフである。子供も出来た、コミュニケーションもとれている、快感もある、ある意味で完璧な「夫婦のセックス」だということだろう。産婦人科医などに尋ねたら、素晴らしい夫婦のセックスライフですねと称賛されるということになる。
 ところでこの夫婦のセックスシーンを不倫中の男女に置き換えた場合はどうなるのだろう?おそらくセックスが中心にある不倫関係では「没」なセックスだということになるだろう。ここが「夫婦のセックス」と「不倫のセックス」 の大きな違いなのだ。
 そもそも不倫関係の成立には男の側から一方的に何かを提供することが多い。経済的支援、仕事上のメリット、徹底した飲み食いやプレゼント攻勢など有償の貢が多いのだが「素晴らしいオーガズム」という無償の提供で成立している不倫関係というのも見逃せない。つまり有償である様々な貢物に勝る「素晴らしいオーガズム」を提供することで女性との不倫関係を継続させる「不倫のセックス」は「夫婦のセックス」と同じものであるわけはない。非倫理的で罪の意識があるにも関わらず人妻がやめられない不倫、それはその「不倫のセックス」が「素晴らしいオーガズム」を伴うからである。勿論最低限不倫相手の男を好きだろうが、その好きはそれほどレベルの高いものではない。にもかかわらず「不倫のセックス」がやめられないのは「素晴らしい心地よさ」があるからである。上記のような夫婦において、妻が子育てを一段落させた時、こういう「不倫のセックス」の相手を出会い系などを通じて、好奇心 混じりに探し出すことは大いにあり得ることである。

J「夫婦のセックス」と「不倫のセックス」
 多くの人妻は不倫をして初めて「膣オーガズム」を知ることになるようだ。
なぜなのか?多くの場合不倫相手の男がセックスに熱心になるのが原因のようだ。生活を共にするわけでもなく、経済的支援をす るわけでもない男にとって、不倫相手の女性に「性的大満足」を与えることが至上命題どという認識があるからだろう。入念にして執拗なほどの愛撫、常に女性への賞賛の言葉を忘れず、最大の勃起硬度に努力し、挿入後も自分の性欲を満足させるのではなく、女性のオーガズムが訪れるのを待つ忍耐力まで身につけてしまう。
 妻にしてみると、そんな夫を目の当たりにしたら、マサカリで殴り殺したいほど、優しく丁寧なセックスをする。これはなぜか?単純に「不倫」という環境に酔いしれ、大脳からのあらゆる性的指令が倍増されることで、男のすべてがセックスに向かうようである。学術的データでも、不倫における精子の数は普段の倍近い数字になるという。「一盗二卑…」という諺からも、人妻を盗むことは男にとって異常な興奮を呼び込むようだ。
 その相手である人妻は結果的に自分の夫がしたこともない性戯の限りを尽くされ、充分女を再確認し、雑誌でしか知らなかった「膣オーガズム」を知ることになる。
 これでは浮気をされた夫があまりに可哀相ではないかということになるが、実はそうでもない。彼も別途どこかの人妻に、彼女の愛人同様の行為をしている場合もあるのだ。また、「膣オーガズム」を知ることは自転車に乗るのをおぼえたようなものだから、夫が少しの持続力を発揮すれば、妻は容易く「膣オーガズム」に至ってくれるのである。夫はそうなったのが自分の性戯のなせる技だと満足すこともできる。そして「膣オーガズム」後に起きる猛烈な膣の収縮を努力せずに味わう結果になるのである。

K「夫婦のセックス」で「膣オーガズム」は無理なのか?
 Hで述べたように「妻を挿入でイカセタイという意志、そして充分な勃起硬度、そして持 続力など精神的物理的要件が求められる」これが妻を「膣オーガズム」に導く最低条件だが、それ以外にもいくつかの求められる要件がある。
 前提に妻を愛おしく思っていること、射精という性欲を後回しにして妻の満足を待つ心構え、妻が夫に抱かれたいと思っていること。その上、妻の膣のどの部分が最も感じるかなど、二人で結合しながら試行錯誤を続ける気力。
  これらの条件を満たしていても、半数程度しか「膣オーガズム」に到達できないのだから、現実はベテラン夫婦でも2割程度しか 知らないオーガズムというのも理解できるし、専門家が「膣オーガズム」をあまり強調しない訳が理解できる。
 50代以上の世代ではクリトリスが女性の快感スポットだという、今では常識の知識も不足だったので、セックスイコール挿入という傾向があった。これは一見無知で野蛮な行為のようだが、愚直に毎夜若妻の膣に向けてペニスを動かすうちに、偶然のように「膣オーガズム」を妻に与えてしまう僥倖に巡り合うことがある。
  これは無知のなせる技なのだが、彼ら世代以上の日々の楽しみというものは、テレビかセックスという時代。現在の20〜40代夫婦に比べ、セックスの回数が新婚時代を含め異様に多いことが偶然の産物「膣オーガズム」を生んだのかもしれない。またその世代の女性たちもクリトリスへの執着も少なかったので、まずクリトリスオーガズムを味わってしまう、開拓しすぎる弊害を経験していないことも好影響を与えているだろう。
  最後になるが、家族を構成する中で、夫乃至は妻という立場は同時に父親母親という立場であり、時にはそれ以上の役割があるだけに、「夫婦のセックス」への熱意度は「不倫のセックス」に比べて極端に低いことになる。また、自分の妻に「膣オーガズム」を知られ、妻や母親ではないイメージを見たくないような夫の心理も働いているかもしれない。逆にあまりにセックスに熱心な夫のイメージが日本の男においてはマイナスなものなのかもしれない。
  このようにして、日本の夫婦のセックスは時代を追うごとに貧困になり、結合と射精だけでも成立する「生殖」さえもおろそかになりつつあるのかもしれない?そして、女性をイカセルことに熱心な一部男たちがたむろする出会い系などで、「膣オーガズム」を知るなどという経験をするのかもしれない。このような現象の幸不幸は一概に善悪では判断できない
饗庭龍彦


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