(25)不倫男女のセックス





20年前まで男女の不倫関係が成立するには、それなりのプロセスがあり、双方の信頼醸成の結果肉体が結ばれると云う不倫が多かった。当然不倫するふたりの間に社会的接点があるので、その関係は他の人々の眼をどれだけ逃れるか、それなりの警戒と配慮が必要だった。
しかし、ここ10年の不倫成立の社会的環境はネットと携帯のツールのお陰?で、驚くほど短絡的に肉体関係が先行する不倫関係が増えている。お互いの本名も、何処に住んでいるかも、職業も何も確証なく好感度という人間の持つ感性に委ねられるのである。
ある範囲のメールでのやり取りや電話などで、相手への好感度と信頼度を計るわけである。危ないと言えばこれ程危ない不倫相手選択手段はないのかもしれない。ネットや携帯の出会い系サイトやSNSなどを通じた、犯罪、被害者、加害者のマスコミ記事は後を絶たず、社会問題にもなっている。おそらく、このような短絡的不倫関係を実行している人々の表に現れない被害は想像以上に違いない。
しかし現実には、その短絡的ツールを利用した不倫関係の成立は未だ尽きることがなく、増殖していると言っても過言ではないだろう。何故このように危険と隣り合わせの短絡的不倫関係が主流を占めるようになったか、原因は幾つもある。

先ず第一に都会では実生活の人間関係が希薄になっているため、不倫関係が成立しそうな人間的接触が絶対的に少ない。

第二に、実生活からの不倫関係の成立はどうしてもプロセスが他人の知るところとなり易い。発覚の惧れは、ネットなどを通じた見ず知らずの男女の出会いに比べ、非常に高い。ネット携帯での短絡的出会いは殆ど当事者の男女だけの範囲でおさまる確率は高く、発覚の危険はリアル生活の十分の一以下だろう。この環境は都会になればなるほど顕著で、東京などは電車の駅二つも離れたら、別世界と言っても良いのだから、他の町の相手と不倫しているわけで、発覚のリスクは当然下がる。

第三に、不倫と云うか特定の夫や恋人以外の男とセックスをしてしまう不貞というタブーな観念が薄れた時代になっている。

第四に、男女同権の流れは女性の性欲の古臭い考えを打破し、性欲があるのが当然であり、それを満足させる権利を有するというレベルにまで至っている。ヘルス等風俗で男だけが性欲を発散することを認める世の中から、女性自身も性を愉しむべきという考え方が生まれてきている。男は射精で一定の性欲を処理できるが女のからだはそうはいかない。どうしても自分の肉体を男に愛されることで性欲の満足を得るものなので、自己完結が難しい。オナニーがあるだろうと云う意見もあるが、あくまでセックスの前哨戦的快感が限度である。

第五に、本当はその性欲をリアルな夫婦生活で充足させるのが一番良いのだが、妻の側からセックスを強要することが許容される観念が日本には根づいていない。最近では仕事や趣味に没頭して、妻の性欲を満足させる夫が減少しているのも一因だろう。また、生身の女に性的満足を与える自信のなさが、セックス回避の行動を取る事も見逃せない。

第六に、リアルな夫婦生活には家族と云う枠組みがあり、男女双方に家族と云う枠組みを壊したくない思惑が働く。言い換えるならば父親、夫、母、嫁、妻と云う立場が優先してしまい、生身の男女の部分はその陰に隠れるきらいがある。


上記以外にも短絡的不倫関係の成立要素はあるのだろう。短絡的でない不倫も当然根強くあるわけで、人間関係が希薄になっているにも関わらず、肉体まで貪り合う不倫が大人の男女の間で顕在化せずに隆盛を極めている。こうなると、何故人間は不倫に走るのかという問題になる。
筆者の経験から導き出した考えなので、すべての不倫関係に合致しないだろうが、多くの既婚者の不倫に走る原因と云うのは一定のパターンがあるようだ。

男の側が不倫に走る主たる原因は見ず知らずの女体を我がものに出来る誘惑であり、概ね必ず射精によって少なからず快感を味わえると云うの主流だろう。不倫における肉体関係は反社会的である。逆に言うなら社会的制約から解放されたセックスがそこにある。相手の女性の生活に何ら関わる事なく、女体を純粋に愉しめるのだ。性欲のある男であれば90%が潜在的に望んでいる事である。

それに対して、女性の側の不倫に走る原因は複雑だ。夫との不調な関係、姑等との不調な関係、子供の育児教育での悩みなど何らかのストレスを抱えている事が多い。リアル生活からの不倫関係は好きになってしまったという、恋愛感情からの不倫関係が多いのだが、最近の出会いツール活用の不倫関係は色んな意味で「心地よさ」が基準になっているようだ。

人妻の愚痴をウルサイ等と言わず何時でも親身になって聞いてくれ、時にアドバイスもしてくれるバーチャルな存在の男。この関係が二週間も続くと女性の方に見知らぬ男に対して依存心が生まれ、バーチャルなのに信頼と云う感情が現れる。ここからは雪崩を打って生身の男女の接近が始まる。(これは一事例として書いています)その後は電話で直接話すようになり、会うまでの時間はそれほどを要しない。

こうして、30年、40年見ず知らずだった男女がたった一度のリアルな出会いで、一時間後にはホテルのベッドの上にいる。それが最近のネットや携帯ツールを通じて成立する不倫関係の典型だといえるだろう。何と云う無謀なと思うだろうが、意外に安全だ。その根拠はメールのやり取りをしている内に、相手の教養度、生活環境などお見合いと似たような情報が交換される。嘘が言えるわけだが、互いに話題の事項で質問し合うと、嘘をついているとバレルものである。(笑)このメール交換をおざなりにすると危険に出会う事もあるということだ。

そこから先はその男女の性的な相性が決め手になる。なぜなら、勘違いだが女性側には男への「信頼」が生まれかけているので、後はセックスがどうかと云う問題になる。清潔度や容貌に特別嫌悪感がない限り、性を愉しむ条件は満たされている。

知り合いと遭遇する心配もない見知らぬ街のホテルの一室である。どれ程の大声を出しても咎められることはない。どれほど乱れても、そこにいる女には社会性がないのだから雌になりきれる。男も社会性を忘れ、初めての女体を相手にするのだから、勃起度も高まる。アドレナリンを噴出し合った、夫婦以外の異性と身体を交わす興奮はいやが上にも快感を増幅させる。当然初めての女体を相手にする男の態度は丁重であり、夫の杜撰さが際立つ。

こうして不倫の男女の関係は肉体的快感を共有することから、その関係を深くしていく。セックスの歓びは90%は男の女への扱いで決定する。中には例外もあるが、多くは女性は受身であり、男の側のセックスが心地いいか悪いかを女が観察し感じる事なので、亭主などよりその場のセックスが心地よければ、その後の関係は決まっていく。男が相手の女性の快感のツボを掴み、それを上手に開拓することで性的心地よさは、オーガズムと云う領域にまで到達する。経験則的判断になるが、女性は与えてくれる快感の度合いに応じて精神的愛も感じる傾向もあるので、不倫相手をどこまでも心地よくするかが男にとって非常に重要になる。

よくステレオタイプの女の主張として「愛してるから、感じるものよ。愛のないセックスなんて考えられない」と云う言葉を耳にするが、この言説に捉われた女の多くは、本当の性的快感に出遭えないだろうし、男は極力避けた方が賢明だ。抽象的概念とオーガズムを同次元で扱われるのは、不幸の始まりだ。

不倫をしていると云う意識が、大脳に与える影響は甚大らしく、男女ともにホルモン分泌が活発になる。不倫中の二人には、セックス以外介在するものも少ないから、性的関係だけを昇華する事が可能になる。研究によると射精時の精子の数が激増し、しかも正常精子の数までが増えるというのだから、不倫のセックスがセックス中のセックスと云う事になる。勿論、積極的にお薦めしているわけではない。

普通、月に一回しか女房を抱かない男でも、不倫相手と会っている数時間に数回抱くけると云う現象が起きるものである。女性の方も不倫相手とのセックスで快感の質が向上する事が多く、亭主のセックスが悪かったと思い込むようになる。実はその亭主が、他の女性と不倫した場合、その不倫相手の女性も、そうのように思う事が多いのが皮肉である。

不倫の男女は反社会的行為をしているわけだが、逆にみると社会性を放棄している状態だともいえる。人間の社会性とうものが、本来の動物としての本質をスポイルしている事実の一端が見られるともいえる。文明が進めば進むほど、人間は性的動物から遠ざかると言われているが、不倫のセックスが昨今増えている現象は、文明から受ける非動物性向への、ささやかな抵抗なのかもしれない。

饗庭龍彦


Page Top 1         10 11 12 13 14 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28