(3) 男女の心理とセックス








「愛のあるセックス」という言葉に騙されるな!「愛」ほど曖昧なものはない。「愛」より「好き」「大好き」を基準に、これからはセックスする時の心構えにしよう。「恋心」もあまり過度の信用は禁物、恋の賞味期限は3,4年が限界といわれている。自分の気持ちを確かめる分かりやすい感情は「大好き」である。
セックスが目的で好意を示す男は多い。でもそこから恋に落ちる男もいる。恋をしたからセックスがしたくなる女もいる。大好きな男から求められてセックスをする女も多い。勿論大好きな女だからセックスしたくなる男もいる。セックスを求める状況は様々、どれが良いも悪いもないのだが、出来ることなら「好き」を最低の基準にしたいものである

副題:男女の出会い、恋、愛、愛情の心理とセックス

(2)「男女の性欲」を読み理解しようと努力した結果、精力が減退したお嘆きの貴方・貴女に朗報です。この項では、男女の心理といっても、心理学の用語など縁がないような「読み物風」に心がけようと思っています。筆者も少し疲労気味、クックと笑いながら、読み流せるページにしたいものです。
男女の出会いは時代によって、そのシーンを変化させます。男女の交際に社会的歯止めが強かった時代では、お見合い制度が全盛でした。家庭のつり合いが取れた年相応の男女を見繕い、1対1で出会わす訳です。両親同士と社会が公認の出会い系サイトです。
その段取りが設定された時点で、承諾さえすればセックスも保証される状態になっている便利な制度です。事前に双方の家族を含めた履歴や身上調書が知らされていますから、見合いの席で相手を観察する内容は限られています。
まずは或る見合いのシーンです。事前の宣伝写真と同様の人物が目の前にいるかどうか観察します。過度の修正写真であることが分かった時点で、女性はだいたい不機嫌になります。男性は写真とは違ってても一気に不機嫌にはなりません。相手の女性の、他の部分を観察し始めます。意外と胸が大きいとか、尻はデカイが指は綺麗だとか、笑い顔は思ったより魅力があるのではとかと観察します。
要するに、男性側にしてみれば、OKさえすれば、見ず知らずの目の前の女性とセックスが出来るという妄想が膨らんでいますので、直感や観察力を複雑にする心理が働き出す訳です。
女性も、この面前の男が私の上に圧し掛かることを想定、耐えられるか想像しています。こうして目出度く見合いに成功したカップルは「セックス」を起点に新婚生活を始めることになります。
社会学では「売買春」の変形だと論破する学者もいるようです。女の身体と家事育児一切と経済力のバーターに過ぎないという論理になります。
まあ、この際その辺はさておいて、恋愛の男女の騙し合いや駆け引きに左右されないわけですから、楽です。結婚を決意してからの、親の説得も不要です。見合い結婚をしたカップルのほとんどが、「半見合い、半恋愛」と主張するのは、恋愛で結婚しなかったことへの未練のようなものもあるでしょうが、「セックス」をしている内に、初めて双方が恋をしたような気持になれる、なろうとしているとも考えられます。
こうして多くの男女が夫婦となり、高齢化社会を謳歌しているわけです。ここで重要なことは、「セックス」が男女の親密性のスタートになっていることです。愛が先か、セックスが先か議論する余地はありません。セックスによって夫婦の愛が育っていくことになります。時には、全然愛が育たない夫婦もいますが、それはセックス以外に、セックス以上の問題があったり、セックスそのものが旨く行かない場合が多いものです。
勿論、このような制度でのセックスが男性主体の仕組みであるということは、男性側の排出欲と支配欲は満足されますが、女性側の性的満足は保証されていません。それはもう運不運の世界です。所謂「性格の不一致」実際は性的に肌が合わない悩みを抱くことになります。ほとんどは、結婚した男性が女性の満足も考慮したセックスをするかしないか、その一点で全てが決します。
結局、見合い制度においては、男の性欲は重視されているが、女の性欲や満足は運がよければの世界に置かれていたということです。近代における性の抑圧の名残を色濃く残した制度で、欠点もあるわけですが、見習う部分もあるようです。
1940年以前に生まれた男女の多くは(勿論、その当時も恋愛結婚したカップルはいますが少数派だったといえます)、このような制度の中で、カップルを形成したということです。勿論このようなカップル形成であっても、強かで聡明な女性は、そのようなハンディをものともせずに、男の経済力も性的満足も充分入手、10歳も長生きすることができるのです。
不思議なのは、そのような時代に「愛あるセックスは善」の考えが主流だったことです。「見合い結婚」は「手続きを踏んだセックス」であって、決して「愛あるセックス」ではありません。ここがポイントです。「セックスをしている内に好きになった、愛してしまった」を熟年や高齢者は実は非難できないのです。何てッたった、彼らこそが、その実例に他ならないのです。
それでは1940年以降に生まれた男女の結婚はというと、恋愛結婚が台頭し、見合い結婚は徐々に数を減らしていくことになります。この現象は、見合い結婚に大きな欠点があったというよりは、「愛あるセックスは善」「婚前交渉可」「フリーセックス」などの風潮が人々の間に浸透、男女の結婚と離れたつき合いが社会的に認知されていった結果と言えるでしょう。
このような過程を経て、男女の交際が基本的に自由な世の中が来たわけです。一見自由な、男女交際の時代は素晴らしいもののように思えますが、現実は自由主義社会の自由市場の原理が大きく働き、多くの混乱、悩み、悲劇もつくり出しているわけです。
男女の出会いの状況も時代とともに大きく変わってきました。男女共学などという懐かしいことから、女性の4大への進学率急増、女性短大の衰退、女性の職場進出、フェミニズムやジェンダー論の認知、インターネットの発展、チャットなど出会い系サイトの隆盛、さまざまなサークル活動、合コン、有料結婚相談ビジネス、携帯電話・メールによる人間関係の形成など等、男女の出会いを形成する仕組みは、矢継ぎ早に提供される時代が出現することになった訳です。逆に、このような男女の出会い環境に無縁な社会層が出現もしています。男女の出会いに2極現象が起きているということです。出会う機会が多い人種とほとんど出会う機会が無い人種です。
それでは、最近の男女のセックス事情はどうなっているのでしょう。一言で言うなら、自由主義・資本主義社会の市場の原理の中で闘う、或いは「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」的に身体を張って勝負に出ている層と、逆にそのような危険な目に会いたくない、受身な男女関係を望む層が出現しています。受身な男女層では、未だに見合い結婚が生き残りをみせていますし、有料結婚相談所を頼ることになります。
男女の心理とセックスで注目するのは、市場原理の中で恋愛やセックスをしている男女です。ここにおける男女は、日夜喰うか喰われるかの戦いをしているわけです。学校、職場、合コン、出会いパーティー、サークル、ナンパなどで出会いのきっかけを得た男女は、目当てのパートナーとの間で、神経がボロボロになったり、占いに頼ったり、いい加減な友人のアドバイスに迷ったりしながら、双方が手探りで、恋愛に踏み出すことになります。これはまさに、心理の戦場です。
男は根本的には、どうすれば女とセックスが出来るかを考えています。女は男が自分に相応しい男かどうかを判断しようとします。だいたいにおいて、男女の始まりは友達の1人なわけです。そのうちに、多少他の人よりも「好き」乃至は「気になる」な感じがしてきます。この部分には「好意親愛性」「尊敬や信頼感」「類似性の認知」があると考えられます。
次に二人だけで会いたい気持が出てきます。この辺からが、「好き」の世界で、「恋」の始まりの予感です。次に「愛」この部分になる、前述「好き」に「親和性」「援助意識」「独占欲」「排他欲」が加算され「愛」が待受けていることになります。このような文章にすると、恋愛もつまらないものです。

「スポーツセックス」
ナンパによって男女関係を成立させている男女グループの場合の多くは、セックスを心理的に利用していない傾向が強くなります。彼ら、彼女らは実践主義者なのです。感性・フィーリングが合えば、即セックスが多いパターンです。「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」を実践するわけです。リスクがつきまといますが、少なくとも数はこなせます。しかし、現実は男女関係と言えるほど長続きしないのが特長です。ほとんどは単発で終わるので、恋愛にまで至ることは稀です。この世界における、もうひとつの特長は男1人に対して、女が5〜10人という、自然界には見られない男女比が現れている点です。
このような男女グループでは、女性の男への価値観に類似性が強い為でしょう。Aという「イケ面」な男に10人20人が同時に、フィーリングとやらを感じてしまうためです。この世界は女が非常に不利な状況に追い込まれています。男の方は「入れ食い」状態ですから、体力とお金が続く限り、女を取り替えセックスに励むわけです。そこに、恋や愛が介在する必然性はほとんどありません。あるとすれば、セックスをしている内に、何かひらめきで、改めてパートナーである女性を見つめなおした場合だけでしょう。おそらく、このような男女の出会いに、カモ扱いの女性の方も、何も求めていない傾向が強いので、ある意味ショックもないともいえます。いわゆる、セックスはゲーム、スポーツの延長、時にはただの暇つぶしなのかもしれません。そういえば、このような男女のセックスでは、オーガズムをほとんど知らない女性が多いとも言われている。未成熟な身体では、成熟した女性のオーガズム体感は難しいということのようです。逆にオーガズムを体験していると、セックスに慎重な心理が働くとも考えられます。
漸く本題に近づき始めました。ペンネームを「横路多郎」にしろ!などと、言わないで下さい。結構執筆大変なんですから・・・
さてナンパなどを除く、男女が何らかの形で出会うことで、何が起きるのでしょうか?
*この項では概念的解説を除外しますので、相手の異性を「好みのタイプと遭遇」⇒「恋心」⇒「恋愛状態」という抽象的表現に止めます。詳しくその区別など知りたい方は別サイトで調べてください。ここでは、その過程における心の動きとセックスの関わりにスポットを当てます。

「恋期」
最も象徴的な出会いの形は最近では「合コン」でしょう。職場・学校とか趣味のサークルに比べ、男女の出会いそのものが重要な目的のひとつになっているからです。このような形での出会いの場合、友情likeの段階は瞬間で通り抜け、恋愛モードに突入するパターンが多いようです。つまり、ナンパと似た部分がありますが、双方の正体不明な状況はありません。時にはその日の内にベットインということもあるでしょうが、一般に気になる異性とのメルアドの交換などが行われることが多いようです。
男は「好みのタイプと遭遇」の時点では既に「セックスモード」に入っています。正確に表現するなら、10,20代の普通に性欲を持つ男は、この世の女を見る、想像する時間帯全てが「セックスモード」といってもいい状態です。多少極端な言い方ですが、概ね正しいと考えるべきでしょう。ただし、それぞれの男の個性によって、その欲求がどのような形で表現されているかは別です。性欲がギラギラ見え見えの男もいるし、マスターベーションもしないような飄々とした表情の男もいます。男の表情や仕草から、その男の助平度を知る方法などは無意味です。占いのように信じるのは自由ですが、原則、男は女とセックスしたいともの考えておいて下さい。
好き、恋する、愛するという女性好みの手順とは、思惑が違います。その点では、ナンパに精出す男と変わりがありません。勿論、好みはあります、しかし、女性が考えるところの好みではありません。大変脆弱な判断基準で、臨機応変というか、ご都合主義なものだと解釈しておきましょう。正体が見えているだけに、多少の慎重さはあるでしょう、やり逃げは難しいわけです。まず第一に、恋愛して結婚に至ってもよさそうな女を求めます。それが駄目なら、後腐れのない捌けた好みの女を捜してみます。これが駄目でもまだ諦めません。ここまで性的妄想がたかまると、穴があればいい気分になってきます。合コンで「あまりものに福」はないのですが、あまりものをあさり出します。中には途中で諦めて、酔いつぶれふてくされる男もいます。
まあ。こんな具合ですので、どのようなシチュエーションでも、男は常にセックスシーンを女に重複させていると考えておいてください。年齢的幅は広く、生殖可能女性の枠を越え、12歳から55歳程度までとみられます。当然、外見のいい女が好まれますが、特に美人が好まれるとは限らないようです。最近は優しそうな女が彼らの好みのようです。傾向として、痩せてもいない、太ってもいない、中くらいの体型が人気のようです。
方や女は合コンで好みの男を見つけたからといって、男のペニスを思い浮かべることはありません。セックスシーンも考えていません。感じのいい男だが、見た目だけかどうか、ウソを見つけようとします。或いは男の品調べに鋭い観察の目を向けるわけです。この時点で、身体を許していいかどうかなどと、考えることは稀です。ただし、中には自分の価値観に自信がない場合、唯一の物理的武器を鼻から使用する女もいます。これに男の多くも応対していますが、これはナンパの世界と同じ運命を辿っているようです。得るものは双方感染症くらいのものです。
合コンというセレモニーを通過した男女は、メールなどでお互いの詳細な情報を提供しあいます。毎日電話やメールで連絡をとることが生きがいになってきます。二人で会う機会が俄然増え、会うということだけで、胸が高鳴りだします。ここまで来ると「恋・恋心」の世界です。
男はこの辺に来ると、何時ホテルに誘うべきかチャンスを狙います。先ずは当面の目的を達成したい気持で一杯になります。勿論、性欲・セックスが男の心理の全てではありません。相手の女性の長所が必要以上に好ましく見えてきます。こんなに気立てがよく、自分を凝視する生き物に感激もします。出来れば永遠に二人の時間が続くことを望むようになります。しかし、同時に猛烈な猜疑心や嫉妬心が同時に芽生えてきます。特に、こんなに素晴らしい女は、多くの男に狙われているに違いないという、杞憂の世界を拡大していきます。誰にも渡せないという、独占欲が強まり、その嫉妬心・猜疑心・独占欲・支配欲を満足させる為にも、セックスの必要性を痛切に感じてしまいます。冷静に考えると、身体の関係が出来たからといって、その辺の問題が解決することはないのですが、そのように思ってしまうのです。結果的に、女の身体に自分のペニスを挿入した瞬間に、第一段階の心の満足が訪れます。そして、セックスの快感も訪れるでしょう。しかし、男の心配は尽きません。セックスをして、女が自分とのセックスに反応する姿を見ては、新たな猜疑心・嫉妬心・独占欲が現れてきます。この恋による不安の解消のために、男は相手の女性の性的満足度を気にし始めます。出来るものなら、俺のペニスの虜にしてしまいたい欲望が生まれます。冷静に考えると馬鹿げた幻想ですが、恋におちた男は、そのような幻想を見るわけです。その結果「いいか?いいか?」「行った?」などと愚問を口にしたり、マニュアル本を読み漁ったり、早漏を極度に恐れたりしてしまいます。セックステクニックは悩むものではなく、慣れるものにも関わらず、頭で何とかなると考え、右往左往してしまいます。
女は恋の段階に入ると、接触欲が強くなりますが、セックスで性欲を充たしたい気分にまでは、必ずしもなりません。その辺はまだ漠然とした性欲状態ですが、接触の刺激度に応じて、気分が盛り上がり、身体は部分的に性反応を示している場合が多いようです。どうもこの辺は性経験の度数で相当の違いが生じるようです。そして、誘われたらどうしようなどと考えています。しかし、恋の段階は自己中心的価値観が勝っていますから、相手を思いやる気持よりも、自分にとってどうなのかが、思考の中心です。何時誘ってくるだろうか、誘いを断ったらどうなるのだろうか。女は男がどのくらい自分を好きなのか知りたくて仕方ありません。この時点で、男に社会的不満、経済的不満、身体的不満、将来的不安などが見つかると「恋心」は揺れ動きます。今なら引き返せるのです、無理にこれ以上進む意味がない気持になる場合もあります。女の方も恋におちていますので、あばたも笑窪状態、相手の男が他の女が見てもいい男に違いない気持もあります。そうなると、出し惜しみで、「トビに油揚げをさらわれる」強迫観念が芽生えてきます。そろそろ潮時かと思うと、今度は何時までもグズグズしている男の態度に、イライラし始めます。ドンドン外的刺激も増加することになりますから、男ほどではないにしても、セックスへの誘惑が強くなります。あまり長いこと男が行動に出ないと、女は自分の性的魅力への不安とか、恋そのものに疑問を抱き始めます。若い世代の場合、男からの懇願に負けるというか、母性本能の為せるワザか、恋という心理と違った状況でセックスに応じる場合もあるようです。
女性の心理とセックスが割り切った解釈が出来ない原因は、どうも母性本能とか弱いものへの博愛とか強いものからの被支配欲などが入り混じることが大いにあり、解釈を混乱させてしまいます。いわゆる「恋」の心理状況と「愛」の心理状況が混在している場合が多く、そこにおけるセックスの介在が、男のように単純に解釈しにくいところです。

「愛期」
「恋」をしている男女の心理は、まだ自己を基準とした円心にあるが、「愛」は相手の立場でも、物事を判断し始める。厄介なことに、相手の物も自分のものみたいな所有の同権性や人権の同化のようなものも生まれるなどと言われていますが、恋と愛の区別にどれほどの重要性があるか、相当疑問です。期間的に恋と愛はオーバーラップしている部分が多く不鮮明で、曰く言い難しというものでしょう。
こうして愛し合うカップルの誕生ですが、セックスはほとんどの場合、恋の隆盛期に心理的役目を終了しています。勿論、律儀にハネムーンで初めてセックスをするカップルもいるでしょうが、少数派でしょうね。
この時期になると、セックスは恋の駆け引きなどという男女の心理的ゲーム性を失います。替わりにカップルの愛を確認する重要なツールとしての役目を担います。出会いから恋をしている時期の、自己防御的心理や価値判断的心理、喪失恐怖の心理、嫉妬の心理、独占欲などから解放され、心置きなくセックスに没頭出来ることになります。しかし、愛の確認におけるセックスにも試練はあります。カップルの間にオーガズムの共有願望が強くなるからです。つまり、愛し合う二人がセックスをすれば、必ずオーガズムが訪れるという「与太話」が彼らにオーガズム欠落の脅迫心理を抱かせてしまいます。この現象は、男女の心理とセックスから離れてしまいますが、気の毒です。あまり、愛あるセックスこそが素晴らしいという、不用意な言葉は使うべきではないでしょう。愛があっても旨く行かないセックスはある、セックスが旨く行かないことで、愛が冷めていくこともある、この程度の認識の方が、夢はないが、がっかりさせずに済みそうです。
それから、恋心は些細なことで、あっけなく消失したり、徐々に沈静化しますが、確かに愛は年毎にその深見を増すのは事実でしょう。おそらく愛にプラス情が加味されることによるものでしょう。純粋な愛とは言い難いものですが、それでいいのです。
結局、セックスが男女の心理で活躍するのは、恋が始まって、初めてのセックスをするまでなのかもしれません。だからといって、させてしまえば唯の身体などと思うのも短絡な感じです。その結びつきなしに事が始まらないわけですから、男女の心理にとってセックスは重要です。まして、拘束する気持や独占したい気持、嫉妬心など様々な煩悩に悩まされながら、相手との関係を深めるわけですから、男女のセックスと男女の心理は不可分なものと言えるでしょう。
セックスの勝者
最後になりますが、不思議な感覚を披露しておきましょう。この世ではあらゆる形で男女の愛の交換が繰り広げられています。特に慣れ親しんだパートナーの身体を通したセックスは安堵するものです。つまりは癒され、慈しみ合うものです。それが夫婦であろうと愛人関係であろうと、まことに目出度いものです。ところで、男女がセックスをしているシーンは男が女を犯している図がまず浮かびます。夫の身体に組み敷かれた妻の女体があるわけです。そこには凸凹があり、凸がいかにも凹を支配している感覚を持つものです。恋の時点での心理同様、男の性欲が勝っている図です。しかし、妻に最深度のオーガズムを知られてしまった男達は、決して自分が征服しているなどと思わなくなるものです。奈良の大仏規模の女体にしがみついて、マグニチュード7の激震に耐えていることに気付くでしょう。女体の極頂点では女体は全てが性器の化身となったような錯覚に陥ります、その起爆装置であった、男のペニスはその時点では、もうほとんど何の役目をしているのか分からなくなるのです。精々、飛び抜けないように、押し付けておくのがやっとです。
つまり言いたいことは、愛する女性との愛の確認に努力した男は、頼りない征服欲・支配欲など吹き飛ばされる、恐ろしいエネルギー、女の性の深さに翻弄されるわけです。これが女のセックスにおける男への復讐なのか、感謝のしるしなのか分かりませんが、男はそこまで来ると、自分は罠に掛かったような複雑な気持になるものです。あんなに「したい、したいの性欲塊」だったのに、いまでは無我の境地でオーガズムを何度も感じようとする女体の添え物になっている、自分を感じることになります。射精も済ませ、性欲が失せた男を置き去りに、女体は燃焼を繰り返す姿は、嘗ての「女を自分のものにしようとした」馬鹿げた気持に、大きな反省を与えます。
セックスの最後の勝者は常に女性なのだ!!
by 饗庭龍彦


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