オーガズムコラム




13.02.19 はじめに

 セックスにおける、男のオーガズムは比較的単純なものだ。ひと言でいえば、そのオーガズムは射精である。勿論、仔細に男の性的快感を観察すると、勃起という快感であるとか、摩擦による快感であるとか、射精寸前の快感とか微妙なものは存在する。
  しかし、射精という現象に勝る快感は見当たらない。心理的な性癖においては、サディズムやマゾヒズムの範疇となる快感もあるだろうが、普遍的セックスという概念においては例外と扱うべきだろう。
 それに対して、女性の側のオーガズムと云うものは、多種多様である。男の私が語るのも奇妙だが、婦人科の医者や心療医の語る定説的女のオーガズムは、かなりの部分でマヤカシが多いのも事実である。
 最近ようやく、多少真実を語り出す女医も散見するが、必ずしもメジャーな定説には至っていないようである。また、最近の社会的現象として、性への無関心、或いは性的行為の忌避といった現象も、セックスとか、女性のオーガズムへの関心を遠ざけているようだ。だが、私の実感としてだが、女は40歳前後から、自分の性的オーガズムに関して、突然のように考え出す生き物のようである。
 世代間格差があるのだろう(セックスに興味が強いのは団塊世代までの男と、それに見合う女だけではないか)と云う意見も多いが、私は違うと実感している。
 なぜかと云うと、セックスは、多くのシーンにおいて、男が仕掛ける場合が多いものなのである。男女のセックスの初期の段階では、男が積極的であり、ウザイほど身体を求める傾向が強く、それに女が応じるパターンが多いわけだから、先ずは男の性欲が活発である事が前提となる。
セックスの前提である男の性欲が乏しい世代が現れると、女の方も社会的通念に準じて、自ら前向きになることはあまりない。つまり、現在の20〜30代の世代ほど、男女の共同作業によるセックスのオーガズムを得る機会が減少している事実は認めておこう。
 ところが、ここに二つの落とし穴がある。一つ目はマスターベーション(オナニー)の市民権獲得である。男のマスターベーションは昔から当然の如く市民権を得ていたが、ネットの市民権と同様のスピードで、女のマスターベーションが知れ渡り、市民権を得たと言えるだろう。
 この男女が織りなす自慰行為による性的快感は個別の快感として独り歩きした傾向がみられる。

このような自立性の強い性的快感の市民権獲得は、表面的つき合いを主体とする若い世代の性に対する意識を大きく変えてしまったようである。SNSFBなど表面的つき合いを主体とするインフラの発展は、いやが上にも“生身のつきあい”を遠ざける結果に至っているようだ。

 ライトな行動に慣れ親しんだ世代には、“生身のつきあい”は心理的抑圧もかなりのもののようである。ライトな人間関係で事足りる社会においては、短絡的に入手できるマスターベーションという性的快感が間違いなく思い通りの快感が得られるので合理的であり、“生身のつきあい”で生まれるめんどう事に煩わされず、時代的である。双方が傷つく可能性のある“生身のつきあい“を遠ざける性的快感享受法が全盛になる点は納得がゆく。そう云う意味では、性的快感は一人でも得られるものと割り切り、他の興味ある物事に時間を費やす合理性が生まれる。

 二つ目の落とし穴は、性的行為は必ずしも同世代において成立するものではない事実だ。つまり、中高年の男と230代世代の女の性的関係は巷にあふれているし、最近では草食男子に抗議でもするように、肉食女子が大手を振って世間を歩き、同世代の性的関係の枠を離れ、若い世代は中高年との肉欲を味わい、時に340代の肉食女子は年下男子の性教育の家庭教師になることに嬉々としている。

 このような肉体を通じた世代間の交流は、同世代における性欲の不均衡を是正することに有益だが、セックスの目的の一つである生殖行為にはあまり貢献する事はない。

結婚という社会的契約には子孫をもうけると云う暗黙の了解事項があるわけだが、最近では結婚というものが、その子孫をもうけると云う意味合いを逆に鮮明にしているのは皮肉である。このシリーズのコラムでは、あまり社会学的考察に入り込まないようにと心がけるが、この辺にも少子化問題の課題が存在するのは事実だろう。

 以上のような社会状況においても、女のオーガズムへの正しい研究分析と理解は充分ではない。勿論、私は女のオーガズムの研究者でもなければ、科学的素養が豊かというわけでもない。ただ、観察力に細心の注意を払いながら、女のオーガズムの様々を垣間見てきたわけである。その観察日記のようなものに、どれ程の共通性があるか、或いは、はみ出た種類のオーガズムがあるか、その辺を経験則を中心に、継続的に語ろうと云うのが、このコラムの趣旨である。

 偶然、このシリーズ化したコラムを読む巡り合わせになってしまった方々は、それぞれの経験も含め、女のオーガズムについて、時折考えて貰えるなら幸いと思っている。 by 饗庭龍彦